春日神社(野杉春日神社)

春日神社(野杉春日神社)

IMGP2437

春日神社(かすがじんじゃ)について

春日神社は山崎村の氏神神社。古く野杉春日社(のすぎかすがしゃ)と称せられており『播磨艦』には鎌倉時代文治2年(1186年)此の地方の地頭「吉川但馬守次郎」が勧請奉斎したとあります。
現在でも、神社入口に野杉春日神社と記されております。

室町時代になり嘉吉3年(1443年)英賀城主の「三木右馬頭越智通近」が、崇敬する揖保郡太田村黒岡天満宮より菅原道真天神の神霊を迎え、英賀彦神境内木村に遷宮(せんぐう)。

史誌には、菅原道真公の分霊は嘉吉元年6月(1441年)に一端春日神社に祀られ、後の嘉吉3年9月18日(新暦の10月)に英賀神社に祀られ英賀天満宮となるとあります。

山崎村民は此の時より氏神として奉仕したりし、当時余程栄えた様子にて、森大いなる杉の木立、朱の社殿等今尚古老の口傳にあり、しかし當社が今日の如く表へたるは天正以降にありと播磨鑑に日く、英賀城が天正8年(1580年) 豊臣秀吉に破られた時より英賀の春日社零落斜陽となった。

住所

兵庫県姫路市飾磨区山崎319

御祭神

武甕槌神【タケミカヅチノカミ】
鹿島神宮(茨城県鹿島市)の主神。日本神話に登場する神。かつ剣の神とされる(剣豪で有名な塚原ト伝を祖とする)また、相撲の元祖ともされる神。

経津主神【フツヌシノカミ】
「日本書紀」に登場する神。奈良の春日大社で経津主神が祀られている、その関係で全国の春日社で祀られた。一般的に香取神社(千葉県)の主神。古来、武甕槌神と並び武神として朝廷や武家に厚く崇拝されてきた。

天児屋根神【アメツコヤネノカミ】
天照大神もうっとり聞き惚れて、ついに天の岩戸を開けてしまう美声の持ち主、天下一品の祝詞奏者、藤原氏(中臣氏)社紋下り藤の祖先神。

比蕒神【ヒメガミノカミ】
神道の神。特定の神の名前でなく、神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神を指すものである

御神徳

武道守護出世開運平安航海芸能上達縁結び夫婦和合病気平癒

黒岡神社と菅原道真公についての由緒、そして春日神社との繋がり

筑紫へ左遷せられますとき、延喜元年(901年)風波の御さわりで当国飾磨郡廣畑の郷、高濱の汀に御船を繋がれまして四、五日御滞留されました時、黒岡八幡宮へ参詣せられ櫻井家に御一泊なされて、御染筆の和歌を賜ひました、櫻井氏は御別れを悲しみまして、御紀念を願いましたら、御容赦せられまして、御自作の木像を賜ひましたので、御杷り申したのです、霊験の灼然たるので、懇望によって、嘉吉3年9月8日飾磨郡英賀保村へ御分霊も致しました。
(太子町黒岡神社史誌より)

 

 

[引用・参考文献] 『山崎歴史勉強会資料』(2014)