山崎の歴史・旧屋台

山崎の歴史

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山崎の歴史 旧大屋台について

1863年(文久3年)英賀屋台と広畑屋台の衝突事件により、英賀神社の氏子は、高町、中浜、英賀、山崎、付城の5ヶ村となりました。

1898年(明治31年)屋台の買入れについて村議に問うたが、しがし世情は屋台練りだしに厳しくなり、逆に祭礼禁止、屋台売却へと動く・・・。

1909年(明治42年)再度村議に諮られ屋台売却の議、決定された。

1915年(大正4年)春日神社の境内拡張大修理、及び野杉の宮松顕彰石碑建立等々にて屋台購入の機運高まり、大屋台・子供屋台・其の他一式を他村及び業者より購入。

1926年(大正15年)新調
氏神菅原道真公の1025年祭で氏神では多彩な記念事業を行う年回り、山崎村に於いても青年会よりの提案により、村民の総意を取り付け、屋台の新調が決議されました。
子供屋台も同時に新調しております。

旧大屋台の高欄掛は、乗り子の親が毎年作っており、毎年、太鼓打ちの家風が出ている高欄掛でした。
旧大屋台の狭間は、矢の根が特長となっております。
当時の練り子の特長として、
現在でも一部受け継がれておりますが、地下足袋に荒縄をしております。
また山崎村では、夕暮れになると長襦袢を羽織っていた練り子が大勢おりました。